2009年の発掘調査で纒向遺跡の中心部から出土した大型建物跡=奈良県桜井市
3世紀に奈良盆地で成立した「ヤマト王権」のルーツは、女王卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国ではないとする新説を、奈良県の坂靖(ばんやすし)・文化財保存課主幹(考古学)が打ち出した。新著「ヤマト王権の古代学」(新泉社、本体2500円)で、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡を邪馬台国の有力候補地とすることに疑問を投げかけ、近年の発掘調査の成果に基づいて、ヤマト王権が日本列島各地に勢力を広げ、権力の仕組みを完成させていくプロセスを検証した。5月2日には朝日カルチャーセンター中之島教室(大阪市北区)で記念講座が開かれる予定。
坂さんは長年、奈良県橿原(かしはら)市の県立橿原考古学研究所(橿考研)に勤め、県内各地の遺跡の発掘調査にあたってきた。新著では県内各地を中心とする発掘調査の成果を踏まえ、考古学の立場からヤマト王権成立の謎に迫った。
近年、奈良盆地東南部に位置する纒向遺跡からは、3世紀前半では国内最大規模とされる大型建物跡や、木製仮面、ベニバナ花粉などの重要な発見が相次いでいる。卑弥呼の墓との説もあり、最初に定型化された大型前方後円墳とみられる箸墓(はしはか)古墳も遺跡内に位置する。この纒向遺跡に、中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する邪馬台国の政治中枢が置かれ、それが発展して初期ヤマト王権が成立したとみる見方が、考古学者を中心に強まっている。
だが、坂さんは邪馬台国の時代…
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朝日新聞デジタル 2020年3月18日 19時10分
https://www.asahi.com/articles/ASN3K4D1FN38PTFC002.html
もしかしたら少しは関係者が構成員に入ってるかもしれないけど
もしそのまま受け継ぐなら大和王権でなくそのまま邪馬台国にしたはず
名前を変えたのはまったく違う組織だからでしょ
畿内に邪馬台国のような戦闘民族の名残は無いよ
九州地方は激しく争っていた痕跡が多いし金属の矢じりも多く出てる
裕福で安全な畿内とは明らかに違う