父親は年収一千万を超えるエリート
母親はクソどうしようもない契約社員。
思えばこの時から人生の歯車は狂っていったのだろうと思う。
物心つく前から絵を描いていた。
ほんで、仮面ライダーブラックも好きで
ジュウレンジャーも好きだった。
本当に普通の大人しい男の子って感じだった。
団地に引っ越した。
そこは本当に治安の悪いところで
フィリピン人はいるわ、在日韓国人はいるわ…
まぁ部落とまでは行かなくても
部落地帯にいそうな人達も住んでいるような場所だった。
すごく田舎で…そんなところに引っ越したんだ。
俺には姉がいた
母親はその団地に引っ越してきたあたりのタイミングで姉に暴力をふるうようになった。
ヒステリックに説教して
暴力をふるって…
俺は末っ子だったから直接暴力は振るわれなかったんだが
それがすごく怖くて物凄いストレスだった。
そのため姉と仲良くすることも出来なかった
姉と仲良くすれば
母親に嫌われるかもしれないと思ったからだ。
当時やっていたウッチャンナンチャン炎のチャレンジャーと言う番組で
マンタ?ように水中でワッカを作る男の特集をやっていた
俺はそれを見様見真似で自分の家の風呂でためして遊んでいたんだ
そしたら、その次の日から中耳炎になった。
俺の家は貧乏だったからお風呂のお湯も三日に一回取り替えるような家庭だったから
きっと細菌が耳に入り込んだのだろう。
病院に行けば予約しても三時間まち、ひどい時で六時間待ち
普通休日は友達と遊ぶ時間を俺は病院で長く過ごした。
それが凄くストレスになったのだろうと思う。
俺は小学校3年生にあたりになるころ
ある異変が起きた。
時計を見ると
それが大きくなったり小さくなったりしたのだ。
それと、物事が早送り再生のように感じることもあった。
最近調べて分かったのだが
アリス症候群だ。
その時期に俺は、夜中変な時間帯に起きて
『お前はダメだ、ダメなんだ、お前はダメ、ダメなんだよ、ダメ』と言う声が赤黒い地獄から聞こえたんだ
それは幻聴だった。
そんな症状が恐らく1.2年ほど続いた。
辛かったが
いくら親に話しても
子供の妄想、戯言にしか思われなくて
何も対処してもらえなかった。
なんせ俺には耳の病気があったから…
俺の精神病が病んだ瞬間があった
それはGLAYと言うバンドの出会いだった。
あのバンドとの出会いがあった日から
俺の体調は良くなっていって
彼らの影響でドラムもはじめた。
小5あたりで耳の鼓膜の手術もした、それで長い病院通いも終わった。
だが、麻酔があわなかったせいか手術中に起きてしまった
起きた俺は身動きがとれずにゲロを吐いていたのを覚えている
手術が終わった瞬間もゲロを吐いた
あの頃からなんとなく体調がおかしい気がする。
でも幻聴や、アリス症候群はそのタイミングで治ったのよ。
仰向けになって眠らないと
酷い頭痛に悩まされた。
今思うと、小学生で頭痛なんておかしいよな
でも最近調べて分かったのだが
アリス症候群の後に片頭痛は起こるらしい。
今でも時々片頭痛は起きるけど
その時は常に片頭痛があって本当に辛かったのだが
半年ぐらいで治った記憶がある。
とにかくキャラがおかしかった
何というか…いきなり江頭2:50みたいな変な行動をとって皆んなを笑わせたり
とにかく皆んなが笑うようなことを
身体をはってやっていた。
だけど、そんな明るい瞬間があったと思えば次の瞬間になると鬱で死にたいと言う状態になっていた。
つまり軽度の双極性障害の症状がその頃に出ていた。
決定的な事件が起こった
俺の通う中学校は、つまり…めちゃくちゃ先輩が荒れている中学校だった。
前にも話したように
俺が引っ越してきたところは治安が悪くて
そのとき中学校2年の先輩は
俺の家の前で無免許でバイクを乗り回し
シンナーを吸ったらタバコを吸ったりしていた。
それが2000年ぐらいの出来事だから流石は田舎クオリティである
その中2世代の先輩は教師に熱湯をぶっかけたりして少年院行きになったりと…まぁかなり色々やらかしていた。
そんな先輩たちに
絶対眼をつけられちゃいけないのに
双極性障害でテンションのおかしい俺は見事に眼をつけられた。
俺が住んでいるところは関西じゃないのに
先輩は関西弁を喋っていた。
俺はそんな先輩にトイレに呼び出され
囲まれていた。
そしてそのまま廊下へ連れ出され
廊下で正座させられていた。
全校生徒は俺を見て助けようとはしない
俺は家に帰っても家庭環境が荒れていて
『親に心配かけたくはない』と言う気持ちで自分が中学校で酷い目にあっていることは話さなかった。
人間限界が来るのは早いもんで
中学校1年生の夏ぐらいの時期である…
夜に突然目覚めて
吐きそうでトイレにかけこんだ
しかし、何も吐けなかった、吐きたくても吐けない。
そのあと、なんとか落ち着いて
朝ごはんを食べて
また学校へ行く…
だが朝のホームルームの時間にまた吐き気に襲われ
俺は保健室へ…
早退。
これを繰り返していた。
ついには登校前の朝ごはんの時に強烈な吐き気がに襲われたり
顔を洗う瞬間から強烈な吐き気に襲われたりして
学校にいけなくなった。
俺の母親は世間知らずのため鬱病等のメンタル的な病気の存在を知らずに
俺をずっと内科へ連れていった。
だがある日、内科の先生がメンタルクリニックを勧めてくれて
そのとき、ようやく下った診断が
『適応障害』だった。
今思えば適応障害どころの話ではなく
明らかにパニック障害も引き起こしていたし
双極性障害も引き起こしていた。
だが俺は、もうその病気のせいで
学校には行けない身体になってしまって…
俺は今でも
その時の出来事を深く、深く恨んでいる。
離婚した両親も恨んでいるし
そのときイジメてきた先輩も
同級生も…
何もかもを恨んだ。
転校した先で
ギターを教えてくれる友達がいて
そいつをきっかけにして
俺はギターの世界にのめり込んだ。
そいつは今では超エリートで音大主席で卒業しててオランダの音大も卒業してる凄いやつ
俺の自慢の友達だし
俺の人生の恩人。
そこから中学校から25歳ぐらいまで
俺はギターの道一筋で突っ走ってきた。
ギターが、そしてあの時ギターを教えてくれた友達が俺を変えてくれたんだ。
そのときに同居していた彼女が
かなりヒステリックで
そいつのせいで
また適応障害、パニック障害を発症してしまった。
そこからの俺はかなり狂っていった
ここじゃ言えないような事もしてきた。
つまり、ジャンキーになってしまったのだ。
ジャンキーになった理由は、自力で精神病を治すためである。
当然、身体的に中毒性のあるものはやらなかった
とにかく精神的な病を治すために良いとされるものは何でもやった。
だが、治らなかった。
むしろ悪化していた。
何故なら世間知らずなあまり
生活保護を受給すると言う選択がその頃の俺にはなかったからだ。
もう死のうかな…と本気で思っていた。
そしたら何故か知らんが
死ぬ前にkeyの作品でも買ってやるかな!って思ったのよ
そんとき買ったのがサマーポケッツ
…もうね、泣いたよね、ホント泣きまくって
keyの作品ってこんな素晴らしかったんだ!と再確認させられた。
そのあと俺は見ていなかったエンジェルビーツもアニメで一気に見て
岩沢のストーリーに特に感動して
ガルデモの曲全般にも生きる希望を魅せられた。
本当に自殺を救ってくれたこと
今でも強くだーまえに感謝してるし
本当に憧れている。
俺は多分だが…学習障害で長文は読めないから
小説とか全然知らないんだけど
この小説の表紙は確かDEAD ENDのアルバムを手掛けた画家と同じだな…
先程幻聴が聞こえたと言う文章のところで
赤黒い地獄から声が聞こえたと言ったが
当時ジャンキーだったころ
DEAD ENDのsong of a lunaticのライブバージョンを観て聴いたときは
まさに俺があの時に感じた地獄の世界観と近いものを感じて衝撃的だったなあ。
ドグラマグラの話じゃなくてすまん。
まだ生活保護は受給してなくて
これから生活保護受給して
精神病をちゃんとした形で治していこうと
色々手続きを勧めているところ…。
長くなったがこんな感じ。
きっと生活保護受給してから病院に通いはじめたら
もっと多くの精神病を診断されるだろうが
しっかりそれと向き合って
俺はギャルゲーを作りたいと思っている。
俺は三行しか読めないからおまえは十分に健常者だよ
いや俺も興味ない文章だとそんなもん…
特に小説とかは無理。
ラノベも無理なレベル。
同い年かもな
人生色々あるがこれから良いことあるさ
サンキュー
こんな赤裸々に自分の人生を書き込んだのは初めてだから
なんかそんな言葉貰えること自体、不思議な感覚だぜ。
俺なんて、どうせ甘ったれてるって世間では思われているだろうし。
大丈夫だ
ワイも17年社畜して神を恨むような人生の試練があって鬱で退職で療養中よ
辛い事あったから人は優しくなれるんや
人間は弱いけどいくらでもやり直せるんやよ
生活保護なんて堂々と受給したらいい
本来はイッチのような人の為の制度なのだから
ずっとそう自分に言い聞かせてきたけど
誰かにそう言ってもらえると
全然心地違うわな
マジでありがとう。
人生は誰の為でもない自分の為にや
いっそ好きに生きたらええ
そうだな
だかもうこの年になると
好きなことなんて一体なんなのかすら分からないんだ。
極論、好きなことしようとしたら
俺は快楽に溺れたいわけで。
だから今は命救われたkeyの作品のようなものを作りたい
俺みたいな学習障害紛いなもん持ってる奴には
無理なんだけど
だーまえのような存在になりたい。
彼のような音楽作りを実現させたいんだ。
それは好きなことをやると言うより
自分の死に方だと思ってやっていきたい。
生活保護受給しながら
そんな厚かましい生きかたして良いのか分からないし
絶対許されないだろうけど
同時に俺はこの現実世界を許していない心も持っているから
誰に何言われても、やるつもりでいる。
ミニ四駆にハイパーヨーヨーとかやな
中学はイッチと同じで荒れてたで
廊下をヤンキーが原付で走ってたり、ボヤが起きたり
高校とかは葉書作品にハマったりとかな
四つとも全部好きだよ、全てが懐かしい。
今でもレッツアンドゴーのopは良く聞く
ハイパーヨーヨーはプロスピナー認定受かってプロスピナーファイヤーボールが家に届いたよ。
お前んところも荒れてたのかあ…
でも最近だとヤンキーの奴らが悪いわけじゃなくて
俺たちの居場所を奪ってきた親とか大人が悪いんだって思うようになってきたよ。
俺らの親はバブル世代だもんな
本当この世代の奴らどうかしてる。
いいスレじゃねえか