【大下剛史 熱血球論】細かい経緯までは耳に入ってないが、どんな理由であれ、身内に手をあげた翔の行為は許されるものではない。私もコーチ時代、選手に手を挙げた過去があるとはいえ時代を考えれば、今の世間を納得させることは難しい。内々で事を済ませ、伏せてもおいてもいい事実を球団があえて公表したのは、そんな側面からではないかと想像する。
今回、球団が下した処分は現場を預かる栗山監督にとっても、まして本人にとっても「これほど重いものはない」というぐらいのものだ。
考えてみてほしい。これまで毎日、野球をすることが「当たり前」だった男が残り試合、ユニホームすら着ることができない現実は極めて重い。翔は今、32歳。選手ならば誰しもが「衰え」と向き合うようになる年代。仮に職場復帰を果たしたとしても、復帰前のパフォーマンスに戻すにも、相当の時間がかかるはずだ。
もちろん翔は?それだけのこと?をやってしまった。仮にもフロントが、純粋に彼の技術を「頭打ち」と判断するなかで今回の事件が起こったとするならば、今後は日本ハム側から翔をトレードなどで「放出」する動きがあっても何ら不思議はない。
ただ、厳罰を下し、それを公表に踏み切った以上「放出」だけは何とか避けてほしい。これは球団OBでもある私の願いでもある。
ひと言で言い換えるとすれば「中田翔から野球を取り上げてはいけない」ということだ。もちろん「今すぐ」と言うつもりはない。時期は別としてグラウンドに「戻る」場所を用意するのもまた、日本ハムであってほしいということだ。
あれは、翔が初めて4番を任された2012年。交流戦で広島に来た栗山監督と試合後に食事をした。そこで栗山監督は「翔を何としてでも球界の4番にしなければいけない。そのためになら私はどんな苦労をしても構わないし、どんな批判でも受け止めるつもりです」と翔への並々ならぬ思いを語り尽くし、私も「この男が監督なら…」と大いに期待に胸を膨らませたものだ。
幸いにして栗山監督はまだ現在も指揮を振っており、仮に今季限りとなったとしても後任は翔が誰よりも信頼を寄せる侍ジャパン・稲葉篤紀監督が就任予定と聞く。「もう一度、チャンスを」。それは栗山監督も考えてくれているはずと信じているし、この一連の環境こそ翔の再生に必要な要素だと私は思っている。
今回の件で翔はチームメートからの信頼も失っただろうし、こわもてな外見もあり、世間からはより「ワル」のイメージで語られるだろう。ただし、私の知る中田翔はそんな男ではない。キャンプではいつも私の姿の見つけるや否や駆け寄ってきてあいさつをくれるだけなく、同郷で共通の話題も多く、家族など身の上話などもする気さくで気持ちのいい好漢だ。最後にそんな彼に、この場を借りて伝えておきたい。
「いいか翔、反省せぇよ。監督やしかるべき人、北海道のファンの人にしっかり頭を下げて謝り、どんなことがあっても同じことを二度と繰り返すなよ。だからと言って、いつまでも下ばかり向いとってもダメじゃけぇの。お前がまたグラウンドに戻ることを待ってくれている人たちもたくさんいることを忘れるんじゃないぞ。ここまでやってきた恩義をまだ返しきれてない人がおるやろうが! それだけ考えて、とにかく今は我慢せぇ!」。
日ハムが駄目でも広島で復帰やな
田中幸雄「大下コーチと知らないヤクザ、飲みに誘われらヤクザについて行く」
草
広島県立広島商業高等学校
駒澤大学
東映フライヤーズ
日拓ホームフライヤーズ
日本ハムファイターズ (1967 – 1974)
広島東洋カープ (1975 – 1978)
ガチで無能やんこいつ
被害者のこと考えてないやん
「自分が外野で声を出しながら球拾いをして、夕方には素振りをしていたのをこの人は見てくれてたんだ」と涙が出るほど嬉しかった。なぜかドジャースの帽子を被った水原直々のノックを受け、大下は何とか認めてもらおうとボールに食らいついた。しかし何かおかしい。水原はニヤけてノックを続ける。
ベンチ脇から「水原さ〜ん、かっこいいー」「水原さ〜ん、素敵ー」と女性の嬌声が。水原は伊東の芸者衆にいいところを見せようとしていただけだったのだ[12]。水原はノックする姿がカッコよかった[4]。
気分が良かったのか10分、20分、30分たってもノックをやめない。イライラした大下はノックされたボールを鷲掴みにすると、水原にボールを投げつけた[4]。あたりはシーンとなり、先輩の張本らは「あのガキ」と大下を見て、大騒ぎだった芸者衆もびっくりして押し黙った。水原は文字通り射るような目つきで大下を睨みつけた。
個性派揃いといわれた東映でもさすがに監督にボールをぶつけたらタダではすまない。どういう処分でも受ける覚悟をしていたら水原が「おい、あのチビにバッティングさせてみい」と言った。その言葉に耳を疑ったが、急いでバッティングケージの中に入った大下が頭が真っ白になりながら広商時代から自信のあった右打ちを披露した[13]。
水原はダンディで知られる一方、無類の鼻っ柱の強さを誇り、同じ向こう意気の強い大下に同じにおいを感じてレギュラーに抜擢してくれたのでは、と大下は述べている[14]。その後も大下は水原に可愛がられ、遠征先で晩酌の付き合いをよくさせられた。
テレビで見える範囲でもやりたい放題だった翔さんを誰も注意してこなかったし
後から外野が何言っても響かんし茶番や
反社の餌にならんよう育成失敗の責任をハムでとれ